西方寺

西方寺

浄土真宗東本願寺派の末寺です。
年に5回「ほど」発行している、
西方寺報だよりを中心にお届けします。
墓じまい情報、寺の掲示板もあります。

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新着情報

  • 2024.02.09 掲載を忘れていた昨年12月号と、本年2月号を掲載しました。 また、新コーナー「お寺の掲示板」と「仏花を立てよう!」を追加しました。
  • 2023.09.28 近況報告にお知らせがあります。
  • 2023.09.27 「西方寺だより」10月号を掲載しました
  • 2023.09.01 落語会の情報を2つ、「近況ほうこく」にUpしました。
  • 2023.09.01 西方寺だより52号をUpしました。
  • 2023.06.03 西方寺だより51号をupしました。 郵送は14〜5日頃になりますが、一足先に。
  • 2023.04.17 50記念号を追加しました。 7月8日(土)の祠堂経会には女性講談師の一龍斎貞寿さんを迎え、「鎌倉星月夜」という西方寺の先祖にまつわる講談を披露して頂きます。 同日のお説教は「節談説教」というもので、高岡市の蒲生真志師が来られます。ところどころ節を付けたお説教です。新鮮ですよ!
  • 2022.12.03 西方寺だより12月号をアップ! 写真満載でご紹介しています。
  • 2022.10.05 西方寺だより10月号をアップ! 良楽さんがお寺で落語を披露されますよ!
  • 2022.08.22 「西方寺だより」47号をアップしました!
  • 2022.07.23 トップに「鎌倉殿と西方寺」を追加しました!
  • 2022.06.19 西方寺だよりを更新! 〜祠堂経のご案内〜
  • 2022.02.20 西方寺だよりを更新しました。
  • 2022.01.04 きのう、仔猫が産まれました。詳しくはネコ部屋で。
  • 2021.12.01 西方寺だよりが拡大できない等の不具合を改善しました。ずっと気づかず放置してしまいました。お気づきの点は遠慮無くお伝え頂けると有り難いです。ありがとうございます。
  • 2021.12.01 12月発行の第44号を掲載しました。またうっかり、10月号を掲載し忘れてしまい、遅まきながらバックナンバーに掲載しました。
  • 2021.08.24 西方寺だよりを追加しました。 「最新の〜」をクリックまたはタップしてください。
  • 2021.07.02 トップ画面をシンプルに、見やすくしました。シンプルすぎるというご意見もありますが…
  • 2021.06.07 西方寺だよりを更新しました。
  • 2021.04.02 西方寺だよりを更新しました。 昨年の12月の分とあわせて、掲載します。
  • 2020.11.06 11月8日は報恩講。西方寺だよりの更新を忘れていて、慌ててアップしました...三遊亭良楽師匠が来ますよ!
  • 2020.08.15 西方寺だよりを更新しました。
  • 2020.07.21 近況報告に「祠堂経会」の記事を追加しました
  • 2020.06.09 最新の「西方寺だより」を掲載しました。
  • 2020.05.24 近況報告に「アマビエ」掲載しました。
  • 2020.02.18 西方寺だより35号を掲載しました
  • 2019.12.05 今年最後の「西方寺だより」掲載しました
  • 2019.10.04 「西方寺だより」更新! 帰敬式(おかみそり)のご案内あります。
  • 2019.08.30 西方寺だより32号(9月発行)を掲載しました!
  • 2019.08.13 近況ほうこくを更新しました
  • 2019.07.23 「近況ほうこく」に祠堂経の記事を追加しました
  • 2019.05.26 西方寺だより最新号をひとあし早く掲載!
  • 2019.05.18 西方寺報の名称が「西方寺だより」に変わります。 寺号は6月初旬に発行予定。
  • 2019.03.06 寺報1ページ見出しを修正しました。
  • 2019.03.01 西方寺報を更新しました。

鎌倉殿と西方寺

北条義時が比企一族から迎えた正室「姫の前(ドラマでは比奈)」との間に生まれたのが、次郎朝時(ともとき)。泰時の弟にあたります。
見落としたのかも知れませんが、ドラマでは登場していません...
令和4年10月末からドラマにも登場しています。

そのドラマでもあったように、比企と敵対する時政の謀略により比企一族は滅びてしまいます。この事が原因で姫の前は義時と離縁し、朝時は10歳で母と生き別れに。

 成人した朝時はある官女に恋をします。
相手は女中取締役「松島」という絶世の美女。

当時、幕府2代執権である義時の次男で、御家人でもあった朝時ですが、松島は一向になびく様子が無く、思いあまって御殿に侵入し、朝比奈三郎義秀に捕まってしまいました。

この事をきっかけに、朝比奈義秀と松島は互いに思い合うようになりますが、叔母である尼御台「政子」がその中を引き裂いてしまう。

悲しんだ松島は自害してしまい、騒ぎの発端となった朝時は北条家ゆかりの地である伊豆へ行くことに。

 怒ったのは朝比奈義秀。実は彼は和田義盛の三男だったのです。

何かと北条と意見が合わなくなっていた和田義盛は、この事件を端緒とし、のちの「和田合戦」に発展した・・・という内容の講談が「鎌倉星月夜」として知られています。

 その後、朝時は伊豆で出会った佐竹勝重の娘「お滝」を側室に迎え、すでに長男光時の下に双子の男子が誕生しました。

 しかしこの時代、「双子は不吉」という迷信が強く、双子の弟は捨てられる運命に。

それを救ったのは祖父である佐竹勝重。実は勝重は双子の母の父親、つまり双子の祖父にあたるのでした。
伊豆に連れて行かれた双子の弟は「勝家」命名され、我が子として17歳まで伊豆で育ちます。。

 朝時は父の義時はもちろん、全ての者に双子の存在を隠し通すよう命じ、勝家という弟がいることさえ知らぬまま、双子の兄「時章」は鎌倉で、自分が本当は北条の人間であることを知らぬまま勝家は伊豆で育ちます。

これらのことは、いくら歴史書を探しても出てこないでしょう。
徹底的に秘匿され、西方寺の寺伝にしか出てこないのですから。

 さて、そんな勝家が父の朝時、兄の時章と再会するきっかけとなったのが、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を討つ、つまり北条家を滅ぼそうと起こしたいわゆる「承久の乱」。

北陸道経由で京都出征を命じられた朝時は、信州で17年ぶりに勝家と対面します。

 その後勝家は、兄時章と馬を並べて越後から越中へ進軍しますが、片貝川で受けた矢傷の悪化により戦線離脱、八尾の各願寺に留まることとなり、これを縁として終生、越中に定住したのです。

 1260年頃に出家し、各願寺を頼って真言宗の僧となり、庄川町三谷に「実相院」を開きました。

 1470年頃、その実相院の6代目院主の「勝兼」が北陸布教に来られていた「本願寺8代蓮如上人」に出遇い、深く帰依して浄土真宗に転宗。

上人の弟子として20年近くお仕えした後、故郷の三谷村に戻り、実相院改め「三谷山西方寺」を開いたのが1491年と伝えられています。

 私「雅章」で西方寺24世、実相院からは29世という事になります。

 以上、西方寺の歴史でした。

こんなお寺です

延徳3年(1491)に開かれ、
現在24代目の住職です。
父も母もなくなり、お寺にお坊さんはわたし1人なので、なにかと皆様には助けていただいております。
妻と3人の子ども、7匹のネコと暮らしております。
猫カフェ状態です。お好きな方はどうぞ。
山門から本堂を臨む

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