本山の歴史ダイジェスト
1591年
神田に本願寺11世教如上人によって開創。
京都の本願寺の江戸出張所のような役割で光瑞寺となのる。
1657年以後
明暦の大火のあと、現在の浅草に移転し、浅草本願寺となる。
もともと浅草にあった西本願寺の別院「浅草御坊」は築地に移転し、築地本願寺として現在に至る。
時代をぐっと引き寄せ・・・
昭和40年
名称を東京本願寺に改称。
昭和56年
真宗大谷派との包括関係を廃止し、単立法人として独立。
平成13年
名称を現在の、
浄土真宗東本願寺派本山東本願寺に改称。
<包括法人?>
浄土真宗は、主な宗派だけで11コもあります。
一番大きい(たくさん末寺を抱えている)ところはいわゆる西本願寺さんで、正式には本願寺派といいます。
次に大きいのが、真宗大谷派で、みなさん「東本願寺」と思っていらっしゃるアソコです。
現に、私も40数年前、その東本願寺でお得度を受けてお坊さんになりました。
昭和56年以前は、西方寺も大谷派に包括される法人だったわけですね。
包括っていうのは、宗派に属するお寺は、ちゃんとその包括する側(宗派)と、包括される側(じぶんのお寺)と包括関係を結んでますよーって、寺院規則に明記して、県庁なりに届け出ないとイケナイのですよ。
まあ、ちょっと違いますが、会社で言うとファストフードのフランチャイズチェーンがあるとして、本山は本社、我々は自己出資のオーナーというところでしょうか?
自己出資なので、店が赤字になっても本社は助けてくれません。
アドバイスぐらいはするかも。
しかし、チェーン店の看板を使用しているので、 毎年、看板使用料を本社に支払います。
本山と末寺って、ざっくり言うとそういう関係です。
で、これを包括関係と言います。
もちろん、お金払うのにはワケがあるわけで「本山を護持する」ということ。
本山あっての末寺ですからね!
本山を護持すると言うことは、親鸞聖人以来、脈々と受け継がれた、本山の住職である御法主(ごほっす)を慕い敬うということです。
で、その東京本願寺がなんと大谷派と縁を切って、独立しちゃった!
これには、深〜いワケがありまして...それはいつか。
ともかく、ウチの亡くなった父住職もその時、「よっしゃ、ウチも独立だ!」となり、現在に至るのでございます。
ちなみに現在、我らが本山東本願寺と私ども末寺は包括関係を結んでいません。
お互いに単立寺院です。
え? それじゃ、なにかと支障があるんじゃ?
と思うかも知れませんが、宗教法人法も今までいろいろありまして、 ある地裁の判断結果は、「包括関係に依らなくとも、寺院規則に『本山を浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺』と記することを認める」という事になりまして、別に法律で規制しなくたって、本山・末寺関係は名乗れるんだよーという事なのです。
こういった包括に依らない、純粋に宗教的つながりだけの本山と末寺って、実は他にもあるのですが、名前を出すのは控えておきます(^^;
で、京都の東本願寺が登記上、消えた瞬間
昭和62年の事でした。
なにはともあれ、証拠書類。
スマホの方はずっと下にスクロールしてください。
読んでも分かりにくいので解説します。
これは真宗大谷派という法人が、別の法人であった東本願寺を吸収合併したよー、という登記簿のコピーです。
え? 意味わからない?
当然です。
実は本山と宗派と、ひとつの法人ではないのです。
本山とは通常、お寺を指します。
御法主を中心に大勢のお坊さんがいるというイメージでOKです。
本山として法人格をもち、その代表者は住職=御法主です。
私が西方寺という宗教法人の責任役員で住職を務めていると言うことと同じです。
では、宗派とはいったい何か?
実は本山とは、毎日お経読んでいるだけではなく、むしろそれらは通常業務のほんの一部分です。
全国のお寺からお金を集めるのも仕事だし、お寺の要望に応えるのも仕事。地方のお寺のちっちゃい子どもの得度の準備もあるし、全国から来るお参りのお世話もある、お経のCDも作れば販売もする。とっても忙しいのです。
そういった本山業務は、運営会社が必要になります。それが宗派です。
ここがややこしいのですが、その宗派は目に見える形のあるお寺などもちません。
見えるもの(建物とか)を保有しているのは本山だけです。
宗派はあくまで、本山を護持し運営するために結成された、人間だけの集団だと考えて下さい。もちろん、事務所もいるし、机やパソコンも必要です。そういったものは宗派のお金で買って、本山のどっかに間借りしたりして運営されているのです。
その、形あるモノを持たないハズの宗派が、本山(本堂とか、山門とか、境内地とか)をもつ本山を吸収し合併しちゃったんですねー
吸収された方はどうなるか?
もう、なんにもありません。無です。
なので、この登記簿を我々は「東本願寺閉鎖の登記簿」と呼ぶのです。